🌍 Available in English:What Supports a Wrestling Coach’s Self-Efficacy? — A Study of 116 Coaches in Turkey
NCAAが2022年に6,000名超のコーチを対象に行った大規模調査では、約3分の1のコーチが「ほぼ毎日、精神的に疲弊し、何かに圧倒され、眠れない」と答えています(NCAA Coach Well-Being Study, 2023)。コーチという仕事は、選手の人生に長く影響を与える一方で、そのプレッシャーは非常に大きいです――。では、プレッシャーに押し潰されることなく選手とともに走り続けられるコーチは、何によって支えられているのでしょうか。今回紹介するTerekli(2026)は、レスリングコーチに焦点を絞り、その「自己効力感の源」を体系的に描き出した研究です。
NCAAの調査は米国の大学スポーツ全競技を対象としたものであり、今回の主論文(トルコ・レスリング)とは文化や制度が異なります。それでも、コーチが抱える重荷は競技や国を超えて共通の課題かもしれない、という導入の参考として紹介します。
本記事で取り上げるのは、レスリングコーチの「自分は指導者としてやっていける」という確信――自己効力感――が、何によって支えられているかを116名の調査した論文です。現場でコーチングに携わる方、コーチを身近で支える保護者・関係者の方、そして「教える人の心」に関心のある研究者の方に、ぜひ読んでいただきたいです。
「教えることに、自信が持てない日があるんです」
指導現場で、コーチ仲間や若手の先生から、ふとした瞬間に聞く言葉があります。
「今日の練習、自分の声かけは合っていたのか、家に帰ってから何度も思い返してしまいます。」
「ベテランのコーチを見ていると、自分はまだまだだなと感じます。」
「選手が伸び悩んでいるとき、原因が自分の指導にあるんじゃないかと不安になります。」
選手のメンタル、保護者の関わり方――この連載ではこれまで、選手とそのまわりの大人をテーマにした論文を読んできました。今回は視点を変えて、選手を支える側、つまりコーチ自身の心に焦点を当てます。
結論から先にお伝えすると、レスリングコーチの「自己効力感(self-efficacy)」――簡単にいえば「自分は指導者としてやっていける」という確信――は、コーチ自身の心理的な回復力と、自分から動いて環境を変えていこうとする性格の2つで、その46%が説明できる、ということが、トルコのレスリングコーチ116名のデータから示唆されました。
「コーチの自己効力感」とは ― 教える側の心の確信
まずは用語の整理から始めます。
「自己効力感(self-efficacy)」とは、ある場面で「自分はうまくやれそうだ」と感じる主観的な確信のことを指します。1970年代後半にアルバート・バンデューラという心理学者が提唱した概念で、教育・スポーツ・医療など、さまざまな分野で研究が積み重ねられてきました。
「自信」と訳されることもありますが、自己効力感は「自分という人間そのものへの自信」というよりも、「この場面のこの行動を、自分はやり遂げられる」という、行動と結びついた確信に近いものです。
スポーツのコーチに当てはめると、コーチの自己効力感は「技術指導」「戦術指導」「動機づけ」「人格形成」といった複数の要素に分かれることが知られています。そして、この自己効力感が高いコーチほど、選手のパフォーマンス・モチベーション・継続意欲によい影響を与えることが、複数の研究で示されています。
だとすれば、「コーチの自己効力感は、何によって支えられているのか」を知ることは、選手のためにも意味があるはずです。
研究の概要 ― トルコのレスリングコーチ116名を測る
今回紹介するのは、Frontiers in Sports and Active Living 誌に2026年に掲載された論文です。
Terekli MS et al. Determinants of self-efficacy in wrestling coaches: psychological resilience and proactive personality. Frontiers in Sports and Active Living (2026).
出典:https://doi.org/10.3389/fspor.2026.1770227
- 対象:トルコの4都市(エスキシェヒル・キュタヒヤ・トカット・コンヤ)で活動するレスリングコーチ 116名
- 方法:質問紙調査(横断研究)。3つの心理尺度をトルコ語版で実施。
- 測定した3つの心理指標:コーチング自己効力感尺度II/心理的回復力尺度III-R/プロアクティブ性格短縮尺度
- 解析:相関分析と多変量重回帰分析
なお、これら3つの尺度については、確認的因子分析(CFA)と呼ばれる統計手法によって、レスリング指導者の集団でも「測定したいものを正確に測れているか」が検証されています。つまり、本研究の結果は、信頼性のある尺度の上に積み上げられた数値だといえます。
キーワード①:心理的回復力(psychological resilience)
心理的回復力とは、ストレス・挫折・失敗からの「立ち直る力」を指します。何らかのストレスに直面した際、心が折れてしまうのではなく、しなるように戻ってこられる心の弾力性、と言い換えてもよいかもしれません。
連載第1弾で扱った「思春期男子30名RCT」でも、選手側の resilience(回復力)が中心テーマでした。今回はその概念を、教える側に向けて使っています。
キーワード②:プロアクティブ性格(proactive personality)
プロアクティブ性格とは、「状況に流されるのではなく、自分から動いて環境を変えていこうとする」傾向のことです。指示を待つのではなく、必要だと思ったことを先回りして始める。問題が起きてから対処するのではなく、起きないように手を打つ。そういった行動様式の個人差を測る尺度です。
結果 ― 自己効力感の46%を説明したもの
① 3つの心理指標は、いずれも正の相関を示した
コーチング自己効力感は、心理的回復力ともプロアクティブ性格とも、有意な正の相関を示しました。回復力が高いコーチほど、また主体的に環境に働きかけるコーチほど、自己効力感が高い、という関係です。
② 重回帰分析:2つの変数が46%を説明
- 心理的回復力 → コーチング自己効力感:β = .42、p < .001
- プロアクティブ性格 → コーチング自己効力感:β = .38、p < .001
- 重相関 R = .68/決定係数 R² = .46(p < .001)
数字の読み方を簡単に補足します。β(標準化偏回帰係数)は、ほかの変数の影響を取り除いたうえで、その変数が結果(ここでは自己効力感)にどれくらい関連しているかを示す指標です。1.0に近いほど関連が強く、0に近いほど弱くなります。回復力で .42、プロアクティブ性格で .38は、いずれも社会科学では中程度〜やや強めの関連です。
R²(決定係数)は、結果のばらつきのうち、この2つの変数で説明できる割合を示します。46%は、コーチの自己効力感のばらつきのほぼ半分が、この2つの変数で説明できるという意味です。逆にいえば、残り54%は別の要因(経験年数・所属クラブの環境・選手との関係など、この研究では測られていないもの)で説明される、ということでもあります。
③ 5つの次元のうち、特に強い関連 ― 人格形成
コーチング自己効力感は、技術指導・戦術指導・動機づけ・人格形成・キャラクタービルディングといった複数の要素(次元)から成り立っています。本研究では、これら5つの次元のうち、プロアクティブ性格と最も強く関連していたのは「人格形成(character building efficacy)」の効力感でした(r = .56、p < .001)。 技術や戦術を教えるだけでなく、選手の人格を育てるという指導の側面において、「自分で動いて環境を変えていける」というコーチの主体性が、特に強い支えになっている可能性が示唆されます。教育的な意味でのコーチングを担う方にとって、自身の主体性をどう育てるかが、指導者としての確信にも返ってくるテーマだといえます。
④ 経験は確かに育つ ― 中堅以上で顕著な伸び
本研究では、コーチの指導者ライセンスのレベル別に自己効力感を比較した分析も行われています。その結果、自己効力感は経験とともに高まっていく傾向が見られ、特に「レベル3(シニアコーチ)」以上で、それ未満のコーチと比べて統計的に有意な差として現れていました。
経験を積めば指導の自信が自然に上がるのか、それとも、ある段階を超えてはじめて確かな手応えとして現れるのか――この結果は、後者を示唆しています。長く現場に立ち続けてきた中堅・ベテラン指導者の方にとっては、「経験は成長に寄与している」という研究結果からのささやかな後押しとして読めるのではないでしょうか。
⑤ 著者の結論
著者らは、「コーチング自己効力感を高めるには、心理的回復力とプロアクティブ性格を伸ばす取り組みが重要であり、それはコーチの専門的な力量や指導行動の質を向上させることにつながる」と結論づけています。
レスリングの現場で、どう活用するか
この研究はトルコのレスリングコーチを対象としたものですが、レスリングコーチを直接対象とした研究であり、レスリング指導の現場に活かしやすい知見だと思います。応用のヒントをいくつかに分けて考えてみます。
① コーチの方へ ― 「自分の自信」をつくるための仕組みづくり
指導の自信が揺らぐとき、私たちはつい「もっと勉強しなければ」「もっと結果を出さなければ」と、知識や成果の側に答えを求めがちです。
今回の研究が示しているのは、知識や成果以前に「考え方や心の持ちようが大事」ということです。
- 失敗したあとに立ち直る道筋を、自分の中に持っているか(心理的回復力)
- 問題が起きるのを待たずに、先回りして動けているか(プロアクティブ性格)
この2つは、生まれつきの性格として固定されているわけではありません。回復力もプロアクティブ性も、日々の習慣や、周囲の支援によって育てられることがわかっています。
私自身も指導を始めたばかりのころは、失敗を引きずることが非常に多かったです。しかし、「失敗を引きずって暗い顔をしたり悩み続けていると、その姿勢や雰囲気は選手にも伝わっているのではないか?」と考え、悩みすぎないように心がけていました。もちろん反省することは大事ですが、それを引きずり続けるのは良くないということです。また、それらの失敗や反省を踏まえて、次回からはどう行動すれば同じ過ちを防げるかを常に考えて行動していました。このような行動が結果や成果につながったかは検証できませんが、自分自身のメンタルヘルスを保つ効果はあったように思います。
② クラブ・学校の運営に関わる方へ ― コーチを「ケアする側」の視点
コーチの自己効力感を支える話題と関連して、自己決定理論と呼ばれる動機づけ研究の枠組みからは、もうひとつ大事な指摘があります。コーチ自身の心理的なニーズ――自律性(自分で選び決められている感覚)・有能感(自分には力があるという感覚)・関係性(人とつながっている感覚)――が満たされない状態が続くと、コーチは選手に対して、強制的・支配的な指導スタイル(controlling behavior)に傾いてしまうリスクがあると指摘されています。
これはコーチ個人の人柄の問題ではなく、コーチが置かれている環境の問題として捉える必要があります。選手を支えるコーチもまた、支えられる必要がある――この視点が、組織として何を整えていくかを考える出発点になります。
日本のレスリング指導の現場では、コーチ自身のメンタルケアという視点は、まだ十分に共有されていないように感じます。「コーチがしっかりしていれば選手がついてくる」というモデルは、コーチ個人の負担に多くを依存しています。今回の研究の含意は、「コーチを支える環境が整っていれば、コーチの自己効力感が高まり、結果として選手にも好影響が及びうる」という、組織的な発想への入り口になります。
- コーチ同士が悩みを共有できる定期的な場があるか
- コーチが学び直し・休養をとれる時間が確保されているか
- 失敗したコーチに対し、責めるのではなく次に活かす振り返りができる文化があるか
- このような土壌・文化つくりをWrestle InSightでも今後やっていけたらと考えています。
③ 保護者の方へ ― コーチの「見えない苦労」に少しだけ目を向ける
保護者の立場からすると、コーチは「子どもを指導してくれるプロ」であり、その内面まで気にかけることは少ないかもしれません。
ただ、今回の研究が示すのは、コーチもまたひとりの人間だということです。
クラブの送迎時や試合会場でのちょっとした一言――「いつもありがとうございます」「先生もご無理なさらず」――が、コーチの心理的回復の小さな源泉になっている、ということは、十分に考えられます。
④ 選手の方へ ― 「コーチとどうかかわるか?」
選手にとってコーチは、自分の競技人生に大きな影響を与える存在です。今回の研究は、コーチの自己効力感が、選手のパフォーマンスとも関連するという、これまでの研究の流れの上にあります。とすれば、選手が直接できることは少ないけれど、コーチに対する素直な反応――しっかり聞く、試したことを報告する、感謝を伝える――が、コーチの「指導してよかった」という感覚を支え、巡り巡って自分自身に返ってくる、という関係も成り立ちうるでしょう。
その場でもフィードバックももちろんうれしいですが、私が一番うれしいのは卒業生が練習場に顔を出してくれることです。私に会いに来ているのではなく、「後輩の激励」や「自分の運動のため」なのかもしれませんが、その場に戻ってきてくれるというのは指導者にとって非常にうれしいのではないでしょうか?その時の昔話で「あの時コーチが言ってたことが卒業してやっとわかりました」という言葉をもらうこともよくありました。数年越しの答え合わせといいますか、「自分のやってきたことは間違ってなかったかな?」と思える瞬間の一つかもしれません、
この研究の限界 ― 読むときに気をつけたいこと
今回の論文は、シンプルで力強い結果を示している一方で、いくつかの留意点があります。研究者として誠実に補足しておきたい点を整理します。
- 横断研究である:ある時点で一度に質問紙を取ったデータです。「回復力が高いから自己効力感が高い」のか、「自己効力感が高いから回復力が育まれた」のか、因果の向きを厳密に決められません。両方向の関係が同時にある可能性も否定できません。
- 自己報告データ:すべてコーチ自身が答えた質問紙です。「自分はタフだ」「自分は主体的に動ける」と答えやすい人ほど自己効力感も高く答える傾向(共通方法バイアス)が結果に混じっている可能性があります。
- トルコの4都市・116名というサンプル:レスリングコーチを直接対象とした貴重なデータですが、地域・文化・指導制度はトルコ固有のものです。日本のレスリング指導の現場にそのまま当てはまるかは、別の検証が必要です。
- 測られていない要因が多くある:自己効力感のばらつきの54%は、この研究の2つの変数では説明できていません。指導経験年数・所属組織の支援体制・選手との関係・家族の支え・経済的安定など、別の要因が大きく関わっている可能性は十分にあります。
- 介入研究ではない:「回復力を高める研修を受けたら、自己効力感が上がった」という因果を直接示した研究ではありません。あくまで「ある時点での2つの変数の関連」を観察した研究として読む必要があります。
「回復力とプロアクティブさを鍛えれば、コーチは自分に自信を持てる!」と単純に読むのではなく、「コーチの自信を支える要因のひとつとして、回復力と主体性が大きな部分を占めるかもしれない」くらいの距離感で受け取るのが、誠実な読み方だと思います。
現場で感じてきたこと
これまで、小学生から大学生まで、いくつかの現場でレスリングの指導に携わってきました。指導者を続けてきて感じるのは、指導の自信は、結果が出た時だけに得られるものではないということです。むしろ、うまくいかなかった日にどう自分を立て直すか、その経験の積み重ねが、長い目で見た「教えていける」という確信を支えているように思います。
そして、それは決して個人の根性だけで完結するものではありません。先輩コーチからの助言、選手からの素直な反応、保護者の信頼、クラブ・大学・連盟といった組織からの支援――この研究が示す「46%」の外側にある残りの54%には、こうした周囲との関係が、確かに含まれているのではないかと感じます。
まとめ ― 「強い選手の前に、強くいられるコーチを」
この論文が示したのは、レスリングコーチの自己効力感の46%が、心理的回復力(β=.42)とプロアクティブ性格(β=.38)の2つで説明できる、ということでした。
競技スポーツの世界では、つい選手側の能力や努力に注目が集まりがちです。コーチは「教える側」「指導する側」として、支援される対象とは見なされにくい立場かもしれません。
けれど、コーチもまた、ひとりの人間です。コーチが立ち直りやすい環境を整えること、コーチが先回りして動ける余白を残しておくこと――それは結果として、選手の経験の質に静かに反映されていくはずです。
連載第3弾では、燃え尽きを防ぐ要因が男女の選手で違うことを見てきました。今回は、その選手たちを支えるコーチの側の心を取り上げました。「勝つため」以外の価値――競技から何を持ち帰れるか、何を残せるか――は、選手だけのテーマではなく、教える側にとっても、続けていくためのテーマなのだと思います。
強い選手の前に、強くいられるコーチを。そのために、まずコーチ自身を支える仕組みについて、私たちにできることを少しずつ考えてみたいテーマだと、この論文を読み終えて感じました。
参照論文
主論文:
- タイトル:Determinants of self-efficacy in wrestling coaches: psychological resilience and proactive personality
- 著者:Terekli MS et al.
- 掲載誌・年:Frontiers in Sports and Active Living (2026)
- DOI:https://doi.org/10.3389/fspor.2026.1770227
- PMID:41993125
背景として参照した調査:
- NCAA Sport Science Institute. (2023). NCAA Coach Well-Being Study: Stress, well-being, and identity of NCAA coaches.
- https://www.ncaa.org/sports/2023/1/25/ncaa-coach-well-being-study.aspx
🔗 連載「論文で読み直すレスリング」もあわせてどうぞ:
第1弾:レスリングは「心を強くする」? ― 思春期男子30名のRCTを読む
第2弾:「やらされ感」を減らすひとつの方法 ― 親の関わり方が、子どものスポーツでの行動を変えるとき
第3弾:燃え尽き症候群に関連する要因は男女で違う?
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