「サウナより、レスリングをやった方がいい」
スポーツのなかでも、レスリングは地味に見られがちです。ところが、現役のトップ選手はこの競技をこんな言葉で表現しました。
今年6月に、現役のトップグラップラー(元レスリング選手)である安楽龍馬選手とオンラインで対談しました。第1回・崩し編に続く第2回です。私(伊藤)はレスリングを科学と現場の両面から解き明かす本『レスリングを探求する』(9月発売)を当時準備していて、対談の流れで「この競技の何が一番面白いか」という話になりました。
安楽選手はこう言いました。
「レスリングって、たぶん一番メディテーションに最適なんですよ。終わった後の整い、やばくないですか。だからサウナより、絶対レスリングやった方がいいですよ」
サウナで「整う」という言葉は、すっかり定着しました。その整いについて、安楽選手は「レスリングの方が上」だと言います。冗談ではなく、現役で身体を動かし続けてきた人の実感です。
この記事は、レスリングをしている人だけに向けたものではありません。デスクワーク中心で日々消耗している社会人や経営者の方にこそ読んでいただきたい内容です。
目の前の相手だけに没頭する
なぜ組み技が「最高のメディテーション」になるのか。安楽選手は現在、社会人にもレスリングを教えています。そこでは、こう伝えているそうです。
「グワーッと、相手にグワーッて集中しないと。仕事のこと考えてたら、レスリングやらない方がいいですって。それまでなんですよって。レスリングは、目の前で相手に没頭できるのがレスリングなんで」
目の前の相手に集中しなければ、こちらが倒されます。だから雑念が入る余地がありません。仕事の悩みや先のことなど、ふだん頭の中で考えていることが、マットの上では消えていきます。
「どんなに辛いことがあっても、レスリングの時だけは忘れられる。自然と体が、脳がスイッチを切り替えちゃうんですよ。集中がパチッと切り替わる」
瞑想やマインドフルネスでは、「いまここ」に集中する練習をします。ただ、頭の中を静めるのは簡単ではありません。レスリングでは、集中せざるを得ない状況に身を置くことで、自然と「いまここ」に集中できます。
しかも、身体はハードに動かしています。頭をめいっぱい使い、身体も限界まで動かした後には、やり切った感覚が残ります。頭の整いと身体の疲労感が同時に来る。これが、安楽選手の言う「整い」の正体です。
スマホの「いらないドーパミン」
対談の中で、もうひとつ印象に残った話があります。安楽選手が、いまの社会で働く人たちを見て感じていることです。
「みんな、なんか死んだ魚みたいな顔してるでしょ。周り見たら、ずっと首こう(下を向いて)。それ見てから、最近は景色をめっちゃ見るようにしました。首上げて」
「(スマホは)ドーパミン出るけど、いらないドーパミンなんですよ」
スマホを見れば刺激は得られます。しかし安楽選手の言葉を借りれば、それは「いらないドーパミン」です。一日中パソコンに向かい、すきま時間にはスマホを開く。大量の情報を浴びているのに、頭はどこかすっきりしない。そんな感覚を持っている人は多いはずです。
安楽選手が意識している「顔を上げて景色を見る」は、その流れから抜け出す方法のひとつです。そして、目の前の相手一人に全身で没頭するレスリング(組み技)は、その最も徹底したかたちです。
レスリングは「力のぶつかり合い」ではない
ここで一つ、大きな誤解を解いておきます。
多くの人は、レスリングを「強い力とスピードのぶつかり合い」だと思っています。私は以前、SNSで「レスリングは単純なスピード勝負ではなく、組み手というロジカルな駆け引きをしている」と発信したことがあります。この投稿が伸びたのは、それだけ知られていない話だったからです。対談でこの話をすると、安楽選手も「みんな知らないです」と即答でした。
相手の反応を読み、リズムを外し、わざと隙をつくって誘い込む。力でねじ伏せるのではなく、頭で組み立てていく競技です。第1回・崩し編で安楽選手が語った「相手にエラーを起こさせる」技術は、まさにこの部分です。
だから組み技は、「頭を使うメディテーション」になります。ただ汗をかくだけではなく、考え、読み、判断する。その密度の高い集中が、終わった後の深い整いにつながります。
「経営者」「まじめに勉強してきた人」にこそ
対談の終盤、当時準備中だった本をどんな人に読んでほしいか、安楽選手に聞きました。答えは即座に返ってきました。
「経営者。マジで。その視点は経営者。ロジカル大好きなんで」
「理系とか、勉強してきたみたいな、すごい真面目なやつは読んだ方がいいです」
論理で物事を組み立てる人ほど、組み技のロジカルな面白さが分かる、という見方です。さらに安楽選手は、まったく違う分野に入ることの意味をこう表現しました。
「違う畑に行った時に、フラットなんですよ、マジで。それにまた感覚が新しいから」
ふだん責任を背負い、論理で仕事を進めている人ほど、まったく違う畑に身を置くことで、新しい感覚を得られます。頭を使う仕事をしている人ほど、頭を一度オフにする時間が必要です。そのスイッチとして、組み技という選択肢があります。サウナでもジョギングでもない、もうひとつの整い方です。
安楽選手からは、本への推薦文もいただいています。「レスリングはどんな競技なのか?を深掘りができる本です。『疲れそう』と抽象的によく言われますが、具体的に何が疲れるのかが理解でき、レスリングのイメージが変わります」。現役選手がこう言ってくれたことは、本を書いてきた私にとって大きな手応えでした。
まとめ
今回の対談で見えてきたことを整理します。
- レスリング(組み技)は、目の前の相手だけに没頭できる「最高のメディテーション」。終わった後の整いは、サウナより上。
- スマホの「いらないドーパミン」で消耗し、顔が下を向きがちな毎日に、顔を上げて一点に集中する時間をつくる。
- レスリングは力やスピードのぶつかり合いではなく、ロジカルな駆け引き。だから頭を使うメディテーションになる。
- 論理で仕事をする社会人・経営者ほど、違う畑に入ることでフラットな感覚を取り戻せる。
整えるために、頭を空っぽにする必要はありません。目の前の一つのことに全力で没頭する。それ自体が、現代人にとっての整いになります。
選手や指導者の方はもちろん、デスクワークで疲れている方、論理で物事を考えるのが好きな方にも。この記事が、自分の頭と身体を整えるヒントになればうれしいです。
🔗 安楽龍馬選手 対談シリーズ(全2回)
現役グラップラー安楽龍馬選手との対談を、2つのテーマに分けてお届けしています。
- 第1回・崩し編:崩しとは「相手にエラーを起こさせる」こと
- 第2回・メディテーション編:レスリングは「最高のメディテーション」だった(この記事)
Wrestle InSight について
Wrestle InSightは、元レスラー × コーチ × 研究者という三つの立場から、レスリングを「科学の視点」で読み解くメディアです。運営は伊藤奨 博士(スポーツ科学)。マットの上で積み上げた経験と、大学で積み上げた研究の両方を行き来しながら、「なんとなく」で流れていく情報に、一歩深い視点を置きに行きます。
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