今回紹介するのは、2025年5月に発表された最新論文です。
タイトル:「Anthropometric Characteristics and Body Composition Changes in a Five-Time Olympic Champion in Greco-Roman Wrestling: A Longitudinal Case Study Towards the Paris 2024 Olympic Games」
グレコローマンレスリング130kg級で、史上初の5連覇を達成したキューバ人選手の身体組成を、パリ2024の準備期間中に追跡した事例研究です。
本題の前に注意点があります。
今回はロペス選手1名のデータですので、この方法がすべての選手にあてはまるわけではありません。しかし、超重量級かつ前人未到のオリンピック5連覇選手に着目した貴重な事例研究です。コーチや選手にとって興味がある内容かなと思い紹介します。自分に合った減量方法を考えるための参考になれば幸いです。
なぜこの研究が面白いのか
「5連覇」という記録だけでも十分すごいのですが、この研究が注目されるのは別の理由があります。
選手の年齢が41歳だということ。 そして、東京2021後に一度休止し、約2年半のブランクを経てパリに挑んだということです。
しかも出発点の体重は150kg。規定の130kgまで、約20kgを落とさなければなりません。
「41歳の体に、それだけの減量負荷をかけて大丈夫なのか?」
この疑問に正面から向き合ったのが本研究です。
研究の概要
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対象:キューバ代表選手、41.4歳、身長194.4cm
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測定時期:2024年1月・6月・7月の3回(最終測定は本番25日前)
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測定方法:人体計測(ISAK基準)+BIA(生体電気インピーダンス分析)
準備期間は3段階に分けて管理されました。
フェーズ1(1月〜6月):初期安定化 たんぱく質1.6〜2g/kg/日。試合には参加せず体力を戻すことが目的。
フェーズ2(6月〜7月):積極的減量 たんぱく質を2〜2.2g/kg/日に増加。脂質を削って体重を集中的に落とす。
フェーズ3(7月〜8月):最終カット 詳細は非公開。8月5・6日の公式計量で130kgを通過。
結果:数字で見る身体の変化
6ヶ月間の変化をまとめると以下のとおりです。

注目すべき点は、体重の減少の大部分が脂肪であることです。
特に第2フェーズ(6月→7月の36日間)では、体重を6.1%減らしながらも筋肉量の減少はわずか2.2%。皮下脂肪の合計(6部位)は13.5%も減少しており、「脂肪を削りながら筋肉を守る」という理想的な減量が実現されていました。
細胞レベルでも「健康」が維持されていた
単に体重や脂肪量を測るだけでなく、この研究ではBIA(生体電気インピーダンス分析)を用いて細胞レベルの変化も追跡しています。
ここで注目したいのが位相角(Phase Angle:PhA)という指標です。
位相角は細胞膜の健全性や水分バランスを反映する値で、5〜7°が正常範囲とされています。この選手は1月に6.1°、7月も5.6°と、減量中でも正常範囲内を維持していました。
また、細胞内水分と細胞外水分の比率(ICW/ECW)は1.22→1.39に改善し、最適とされる1.35〜1.45の範囲に到達。脱水や細胞ダメージのサインは見られませんでした。
アマチュアボクサーが同程度の体重減少で脱水症状を示すケースが多い中、この選手が細胞の健全性を保てた背景には、水分・ナトリウム管理を徹底した栄養プロトコルがあったと考えられます。ほんとはここが知りたいのですが、詳細は語られていませんでした。
超重量級には「超重量級の基準」が必要
この研究が提起する重要なポイントがあります。
アメリカスポーツ医学会(ACSM)は、レスリングにおける最小競技体重(MWW)の算出に「体脂肪率5%」を基準として使用することを推奨しています。
しかし、キューバのスポーツ医学研究所が格闘技アスリート500人以上を長期追跡した結果、超重量級の選手にとってこの5%基準は「最良のコンディション時でも到達不可能」なケースが多いことが明らかになっています。
本論文では、超重量級には13%が現実的な最低基準とすべきだと主張しています。この選手も、2012年ロンドン五輪での最高パフォーマンス時の体脂肪率13%を基準値として採用しました。
「全員に同じ基準を当てはめる」ことの危険性を示す、実践的な知見だと思います。
日本の重量級選手も13%を一つの目安にしてもいいかもしれません。
41歳でも過酷な減量ができた理由
論文では、この選手が41歳にして良好な身体状態を保てた要因の一つとして、「試合なしで準備できた環境」を挙げています。
パリ大会の出場資格は別の選手が取得したため、この選手は2023年の世界選手権を経由せずに準備に専念できました。
(↑国内選考がもしなかったとすると資格とってきた選手はどんな気持ちなんでしょうか…)
繰り返す試合と体重調整のサイクルを避けることで、インスリンやレプチンの調節障害を防ぎ、代謝機能を守ったと考えられています。
年齢を重ねたアスリートにとって、「短期間での減量の繰り返しを避けること」は重要な課題になりそうです。
なぜ最終フェーズのデータは「非公開」なのか
実はこの研究、一つ大きな「謎」があります。
7月11日(本番25日前)までのデータは詳細に公開されているのに、そこから公式計量日の8月5・6日までの最終25日間については、論文内でこう記されています。
「競技前最後の25日間における体重減少データは開示しない。この情報の保護はスポーツ医学研究所の運動人体計測学研究室に定められた手続きの一部である」
つまり、7月時点で138.5kgだった体重を130kgまで落とした、最も重要な8.5kgの落とし方が意図的に隠されているわけです。
これは何を意味するのか。
キューバのスポーツ医学研究所(IMD)は国家管理機関です。論文として国際誌に発表しながらも、核心部分だけは「国家の手続き」として保護する——これはある種の国家戦略的な情報開示と読めます。
「こんな選手がいる」「こんな準備をした」という事実は世界に発信する。しかし真髄の部分は公開しない。
7月までのデータ(段階的な栄養管理・水分バランスの維持)は公開しても、最終フェーズの具体的な脱水・カロリー操作の手法を知られてしまえば、ライバル国にも貴重な情報を渡してしまう。5連覇を支えた「独自メソッド」は、次の選手のためにも残しておく必要がある、ということかもしれません。
この論文が映し出す、社会主義国家のスポーツ体制
スポーツ科学の論文として読んでいたはずが、ふと気づくとキューバという国家の構造が透けて見えてきます。
出場資格は別の選手に取らせてベテランを温存する。最重要データは国家機関が「非公開」にする。
いかにも社会主義国家って感じですね(笑)
ただ、こうした体制が5連覇という前人未到の記録を支えたのも事実。
スポーツを通してその国の文化や体制の一端が垣間見えるのも面白いですね!
読者へのメッセージ
この研究を読んで、私が一番伝えたいことがあります。
それは、減量はスペシャリストに頼ってほしいということです。
ロペス選手の減量が成功した背景には、キューバ国家スポーツ医学研究所の栄養士・医師・測定専門家チームのサポートがありました。専門家が設計・管理したプロトコルがあったからこそ、41歳の体で20kgの減量を筋肉量を守りながら達成できたわけです。
日本でも、代表レベルの選手であればJISS(国立スポーツ科学センター)から手厚いサポートを受けられます。しかし現実には、代表に手が届かない選手たちが気軽に頼れる専門家は、まだまだ少ないのが現状です。
「とりあえず食べない」「サウナで脱水」といった経験則に頼った減量が現場で散見されるのも、サポート環境が整っていないことと無関係ではないと思います。
代表以外の選手が専門家にアクセスできる環境が整っていけば、日本のレスリングはもっと強くなれるはずです。そのためにwrestling labとして何ができるか、考え続けていきたいと思っています。
まとめ
今回の研究のポイントを整理すると、
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41歳・150kgから6ヶ月で138.5kgへ。脂肪優先の減量で筋肉量を守ることに成功
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位相角・水分比率などの細胞レベル指標も正常範囲を維持
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超重量級アスリートには5%ではなく13%が現実的な体脂肪基準
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試合なしの準備環境が、代謝的な安定に寄与した可能性
冒頭にも記しましたが、今回はロペス選手1名のデータですので、この方法がすべての選手にあてはまるわけではありません。しかし、超重量級かつ前人未到のオリンピック5連覇選手に着目した貴重な事例研究です。コーチや選手はもちろん、体重管理に関わるすべての競技者の参考になれば幸いです。
📌 参考文献 Carvajal-Veitía W, et al. J. Funct. Morphol. Kinesiol. 2025, 10, 176. https://doi.org/10.3390/jfmk10020176
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